藤原為元邸跡の発掘調査 本能寺遺構は出土せず 京都
産経新聞 10月21日(金)7時55分配信
「今昔物語」に登場する平安京左京(京都市中京区)の藤原為元邸は天正10(1582)年、戦国武将の織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の跡地ともされる。関連遺構、遺物の出土が期待されたが、20日に民間調査会社「国際文化財」が公表した今回の発掘調査の成果によると、出土しなかった。 信長当時の本能寺は天文14(1545)年に堺から移ったとされる。広さは絵図や文献などから、南北は三条大路から四条坊門小路(現在の蛸薬師通)までの240メートル、東西は油小路から西洞院大路の120メートルという、南北に細長い「2町説」がとられた。 一方、近年の発掘調査の成果などから、北限を六角小路までの120メートル四方とする「1町説」も出ている。 今回の調査地が2町説の北半分の一角にあたることから、寺の中心伽藍(がらん)があったとされる南半分とは別に、塔頭(たっちゅう)などの寺院関連施設の出土が期待されたが、今回の発掘調査では信長当時の寺の存在を裏付けるような遺構、遺物の検出はなかった。 国際文化財の辻広志主任調査員は「今回の調査結果は1町説を補強する材料にはなったが、2町説を否定するまではいかない。より多くの調査を踏まえて結論を出す必要がある」と説明した。
以上引用
マジ 堺から・・・。
妙国寺のソテツといい・・。苦笑・・・。
本能寺の変は・・蘇鉄の祟りだったりして・・・笑い