里親たちの本音を知るべく、今年11月末に東京都北区で行われた「養育家庭体験発表会」を訪れた。今回、自身の里親体験を発表した方のうち、平成18年に養育里親に登録したSさん(40代女性)が語った、里親になって知った葛藤や苦悩、そして里子との絆についての話を紹介したい。 ■実子1人を育てながら3人の里子を預かる 保育士の資格も持つSさんは、里親になってもうすぐ10年になる。実子1人を育てながら3人の里子を預かったという。現在は、乳児院から預かっている小学校中学年の里子を育てている。 「我が家は夫と私、高3女子の実子、小学校中学年になる里子A、遠い親戚のお子さん小2男児を預かっており、5人で暮らしています。8年前に初めて我が家にやってきたAは、乳児院からの委託で預かりました。乳児院には生まれてすぐの赤ちゃんから、2歳くらいまでの幼児がいます。2歳を過ぎると多くは児童養護施設に移動します。できれば そのタイミングで里親に委託するのがよいと聞いていました。我が家の里子は乳児院から直接里親に委託するという事例でした」(Sさん、以下同) 実際に育てていく中で、最初会った時のAの印象からだんだんと変わってきたそう。 「当時、乳児院でAに会ったのは、私たち夫婦が里親研修を終えた頃。初めてAに会った時は職員の方の後ろに隠れてしまい、色白で小さくて引きつり笑いをしていて、神経質そうな面持ちで私たちを明らかに警戒している様子でした。それから面会や外泊という手順を踏んで、Aがいよいよ我が家にやってきました。それから8年の日々が過ぎ、小学校中学年になりました。なんともお茶目な子に成長しました。元気でおっちょこちょいで、おしゃべりなせっかちさん。一緒に生活しているだけで、目が回るくらいです」 今でこそAのことを本当の子のように感じているというSさんだが、そう思えるまでの道のりは長かったという。 「実は、最初に里子を預かってみたいと言い出したのは私でした。大家族で暮らしたかったし、ワイワイした家庭をつくりたかったんです。しかし、あいにく1人しか生まれませんでした。授からないことにヤキモキしていました。夫もひとりっ子なので従姉妹もいない、娘が大きくなったら親戚が1人もいないという心配もあり、兄弟のような存在をつくってあげたいという想いもありました。ですが、里親登録にあたっては、主人も実家の母も大反対。主人は私と年が離れているので『子どもの面倒を見る自信がない』といいますし、母は『自分の子どもだって大変なのに、里子を育てることがどういうことかわかっているの』といって、決していい顔はしませんでした」 そうした中、Sさんは周囲を強気で説得する。 「『やるだけやってみようよ! 里子でも実子でも同じように育てればいいんだよ!』といって里親になることを夫と母に猛プッシュしていたのに、Aが来たら半年もしないうちに立場が逆転。Aの可愛さに主人はメロメロ、母も月2、3日我が家に来ていたのですが、『面白い子だね。ユニークだね』といってベッタリ。一番世話しているのは私だし、乗り気だったのも私なのに、イメージ通りにいかなくて、とてもイライラしていたと思います。実子は赤ちゃんの頃からとても手のかからない子だったので、子育てを甘く見ていたのかもしれません」 心から望んだ里子なのに思い描いていたようにならない、そんな状況に育児ストレスを感じることもあったという。そんな時に、S一家に転機が訪れた。 「5年前の年末、児童相談所から『家庭の事情で実親と暮らせなくなってしまった小学校低学年と幼児のきょうだいを預かってほしい』という依頼がありました。年末年始は施設がいっぱいなので、2週間だけということで一時的に預かることになりました。それから年が明けてしばらく我が家に居続けることになったのですが、施設にいればそこから学校に通うことができるものの、一時預かりだと学校にも通えません。1人は幼児ですがもう1人は小学生なので、毎日家にいるのがとても退屈そうでした。2人ともAとも仲良くしていたので、実親さんや親戚の環境が整うまで里子として預かりたいと申し出て、それからこのきょうだいと暮らすことになりました。環境が変わって熱も出すし、喧嘩するし、楽しいというよりやかましく、夢の大家族って悪夢だったか、と思うこともありましたが、あっという間の1年でした。最初からこのメンバーが家族だったんじゃないかと思うほど、いつの間にか団結力も高まりました」 家族としての絆が深まってきた頃、きょうだいの実親の環境が整ったので親元に帰れると連絡があったという。 「晴れて実親さんと暮らせることになったので、よかったねと喜んであげようと思っていました。でも実際にはとても寂しかったし、とても切なかった。たった1年数カ月という短い時間だったけど、泣いたり笑ったり本当の家族のように過ごしてきたのに、2人はあっという間に帰ってしまいました。2人とも実親さんと一緒に暮らすのが念願だったので、後ろも振り返らずにタクシーに乗り込み行ってしまいました。笑顔で見送ってあげようと決めていましたが、タクシーが見えなくなり家に入った時、涙がとめどなく流れてきました。この時が、里親生活の中で一番苦しく切なかった体験です」 時折、言葉を詰まらせながら語るSさん。こうした経験を通して、Sさんはたとえ血がつながっていない子どもでも、家族になれるんだということに気付いたそう。 「血はつながっていなくても、私のおなかから出てきたわけじゃなくても、Aやきょうだいたちと魂で親子なんだなと感じています。これからAの里親である限り、予想もつかないことがたくさんあると思います。『いつまで仲良くやっていけるのかな』『思春期はどうなっちゃうのかな』『もし本当の親じゃないくせにって言われたら……覚悟はしているけど本当に言われたら立ち直れるかな』とかいろいろなことが頭を巡っています。養育里親である私たちのもとを巣立つ18歳を迎える時、どうなってしまうのかと不安は尽きません。でも私たちは絶対に絆で結ばれているということは実感しています。絆というのは目に見えないし証拠もありません。けど、見えないものを信じるということが、私たちの原動力になっています。その力というのは、子どもたちの将来にもつながります」 発表の最後に、里親に懸ける想いについて次のように話した。 「しっかり食べて睡眠をとれば、人間の体は大きくなります。でも、私たちが育てているのは心です。実親に育てられなかったことは不幸なのか、周りの人たちに可愛がってもらって応援してもらって育っていくことが幸せなのか、ここに正解はないと思います。ただ、その子自身が大きくなった時に、境遇をしっかり受け入れることができる人になってほしい。当たり前のようにあることが大切なんだと、今まで幸せだったなと感じてほしい。そしてその子たちが社会で活躍するようになった時に、里子であることや施設で育ったことが差別やハンデにならないような、そんな未来を信じています」 育児の大変さや挫折を経て、里子との絆を育んだSさん。血がつながらない子どもであっても、こんなにも想い慈しむことができるという希望を感じさせてくれた。サイゾーウーマン
「私たちが育てているのは心です」 里親が語る、里子との絆
離婚や病気、虐待などで実親と暮らせなくなった0歳から18歳未満の子どもを、一定期間家庭で預かる「養育里親」。現在、親と暮らせずに児童養護施設に身を寄せる子どもが全国に約3万人いるといわれている中、子どもを温かい家庭生活の中で育てる仕組みが里親制度。子どもの生活、そして将来を担う里親たちは、どのような悩みを抱え、またどんな時に喜びを感じているのだろうか。 東京都の里親体験発表会の案内
■里子が実親の元に帰る時が一番苦しく切なかった
(末吉陽子)