【鉄道ファン必見】南海高野線「マル急」ズームカー、万感の“復活”…大井川鉄道で1日限り
4両連結で南海時代の急行の姿を復活させたズームカー。ツアー参加者は思い思いにシャッターを切っていた=26日午後、静岡県川根本町の大井川鉄道千頭駅(奥清博撮影)
昭和30年代から南海高野線で活躍し、平成9年に引退した21000系「ズームカー」が26日、全国唯一、車両が残されている静岡県の大井川鉄道で南海当時の急行マーク「マル急」を付け、ツアー電車として復活した。 (写真報道局 奥清博)
高度経済成長を走り抜け
21000系は昭和33から39年にかけて製造され、南海電鉄の難波駅から高野山観光の玄関口、極楽橋駅(和歌山県)までを主に急行などとして活躍。難波方面など平坦な路線での高速運転から、高野山方面の急勾配な山岳路線まで直通運転ができる性能を備え、「ズームカー」と呼ばれた。正面2枚窓の丸みを帯びた車体が特徴で、高度経済成長時代の関西を走り続け、平成9年に南海を引退。このうち12両が地方私鉄2社に譲渡され、第二の人生を送っていた。
今年1月22日、島根県の一畑(いちばた)電車に譲渡されていた車両が引退し、現在はSLやトーマス号の運転で知られる静岡県の大井川鉄道に2編成4両が残るのみに。普段は2両編成のワンマンカーの普通電車として、静岡県島田市の金谷駅から川根本町の千頭(せんず)駅までの39・5キロを運行している。
万感の思いでシャッター
この日は大井川鉄道が企画・募集したツアー客約80人を乗せ、南海時代の急行マーク「マル急」を付けた2両編成で新金谷駅(島田市)を出発。千頭駅に到着後、回送電車でやってきたほかの2両と合わせて駅構内で2編成を並べたり、南海当時の急行のように4両連結にして撮影会が行われ、参加者は思い思いにシャッターを切っていた。
夫婦で参加した大阪府豊中市の会社員の男性(49)は「以前、河内長野から通勤で利用し、幼い頃は高野山まで林間学校で乗ったことが思い出です」と懐かしそうに車両を見つめていた。
以上引用
写真見てビックリ、静岡まで、南海高野線を走った電車見に行ってる〜(^^;;
しかも、半端ない人、
たぶん、大阪から、わざわざ❓
侮れない、南海ファン。