ダイヤモンド・オンライン
財政破綻から10年、夕張で感じた「コンパクトシティ」の現実
桃田健史
「夕張は、倒れたままか
夕張は、言い訳するのか
夕張は、メロンだけか
夕張は、高齢化を嘆くのか
夕張の、夜明けはまだか
闇は、自分たちでぶち壊せ
ここに残った9000人の底力
半数の若者は、エネルギーだ
半数の高齢者は、知恵だ――」
2017年3月2日、夕張市がYoutubeにアップした「まちづくりコンセプト映像」を観て、夕張に行きたくなった。
筆者はこれまで一度も、夕張に行ったことがなかった。
10年前に財政破綻し、街の構造を小型化するコンパクトシティを推進する施策が全国から注目を集めている、夕張。最近では、JR北海道の赤字路線の整理に伴い、新夕張駅と夕張駅を結ぶ石勝線(夕張支線)の廃線の可能性について、JR北海道と地元住民の間で議論していることを、テレビやネットを通じて知った。
そうした報道を受けて感じる夕張に対するイメージは、落ちぶれた中山間地域の集落。
ところが、実際に現地に行ってみると、まったく違う印象を持った。
思っていたより、立派な街
夕張市役所がある本町・末広エリア Photo by Kenji Momota
新千歳空港から道東自動車道で40分ほど、夕張インターチェンジを降り、国道274号線を経て、国道452号線を北上すると、マルハニチロ夕張工場や夕張ツムラなど、新しい外観の工場が目立つ。そこに、街が寂れたような雰囲気はない。
国道に沿うようにして、石勝線(夕張支線)の線路が敷かれているのが分かる。
清水沢駅を超えると、国道452号線は東方向に折れるため、夕張市役所へはここから北海道道38号線をさらに北上する。
カーナビの表示で、夕張市役所まで残り2kmを切った辺りから観光地の様相となり、さらに進むと目の前に出現したのは、市が所有権を持つ巨大なホテル、マウントレースイ(冷水)とスキー場。その奥手にある市役所の建物は、人口9000人規模の市にしては手に余る大きさに見える。
道の駅夕張メロードで、炭鉱の町の歴史を紹介 Photo by Kenji Momota
夕張は1800年代末に石炭の採掘が始まり、炭鉱の街として栄えた。北炭夕張や三菱大夕張など大規模な炭鉱施設が市内各所に建設され、最盛期の1960年代初頭の人口は12万人近くまで膨らんだ。だが、70年代初頭の閉山により街を離れる人たちが増えた。その後、メロン栽培や北海道観光の移動拠点へと産業を転換するも、少子高齢化の波が夕張に押し寄せた。
国立社会保障・人口問題研究所によると、夕張の人口は2040年には半減以下となる3885人、そして2060年には1778人まで大きく落ち込むと推測されている。
そうした負の連鎖を打開するため、夕張は「挑戦」の姿勢を示している。
平成28年3月、「RE START!~夕張市地方人口ビジョン及び地方版総合戦略~」を策定し、転出抑制・定住促進、若年年代が住みやすい生活環境の整備などを行い、出生率を引き上げることで人口減少を少しでも食い止めたいという。ただし、そうした施策が成功したとしても、2060年の推定人口は現在の3分の1以下の2592人まで減少する。
こうした厳しい現実に対して、夕張は「楽観するのでも悲観するのでもなく、そこに挑戦し、自分らしく暮らせる街を目指す」(RE START! より抜粋)。
コンパクトシティの現実
夕張市まちづくり企画室まちづくり企画係、係長の佐藤浩一氏 Photo by Kenji Momota
夕張市の、まちづくり企画室の佐藤浩一係長は「けっして、JR(石勝線夕張支線)廃線の議論があるからコンパクトシティを考慮している訳ではない」と強調する。
経済の高度成長によって拡散した街の機能を、都市部に集約することで生活環境を改善しようとする“まちづくりの手法”、コンパクトシティ。
筆者が今回、夕張を訪れた理由は、コンパクトシティにおける交通再編の現状とこれからを知ることだった。コンパクトシティというと、富山市や夕張市がメディアに登場することが多いからだ。
清水沢の炭鉱住宅。居住者は数少ない Photo by Kenji Momota
平成24年3月に公表した、「夕張まちづくりマスタープラン」では、「将来都市構造の再編プロセス」を打ち出した。それによると、もともと炭鉱の周辺に従業員向けの市営・炭鉱住宅が建設され、それぞれの地区で街が栄えたため、現在では市内で大きく4つの地域に住居地区が分散している。まずは、これら4地域それぞれの中でのコンパクトシティ化を進める。「炭鉱住宅の住居者は高齢者が多く、しかも一棟の低層階の部屋に少人数が住んでいる。建物の老朽化が進んでいるが住居者の希望があり閉鎖は難しい」(佐藤氏)
清水沢に新設された市営住宅。コンパクトシティの象徴としてメディアに紹介されることも多い Photo by Kenji Momota
こうした住民には、地理的に4地域の中心となる清水沢地区に、行政の一部、福祉、医療、さらに買い物の拠点を集約させ、新設した市営や道営の住宅への転居を推奨している。
実際、清水沢地区で市営と道営の公営住宅の周辺を歩いてみたが、平坦な土地にあり、スーパー、銀行、郵便局などへのアクセスが十分に確保されている。
また、若い世代は公営住宅への入居を好まない傾向があり、また入居には所得の上限が設定されており入居できない場合もあるため、民間住宅の整備も進めている。
こうした市営住宅を中核とした街の再編、という観点でのコンパクトシティは、筆者が過去に取材した富山市や東急田園都市線沿線等で考慮されているような、民間住宅の再編によるコンパクトシティと比べると、「明らかに、計画を進めやすい」。現場を歩きながら、そう感じた。
交通網の再編は、南北軸中心で
行政主導であれ、民間デベロッパー主導であれ、コンパクトシティで大きな課題となるのが、交通インフラの再構築だ。夕張の場合、南は道東自動車道の夕張インターチェンジやJR石勝線の新夕張駅、北は夕張市役所、この南北を結ぶ道路を軸とした交通網を構築する。
中長距離バスの拠点なる、夕鉄バスの営業所 Photo by Kenji Momota
この南北軸には現在、周辺都市への広域交通の拠点として、夕鉄バスのターミナルがある。また、JR新夕張駅が札幌などへの広域への鉄道拠点だ。これらに加えて、清水沢地区に、2~3年後を目途に新しい交通結節点を建設することが決まっている。
この清水沢地区内、また他の3地域との間を結ぶのが、地元のタクシー事業者に業務委託する「オンデマンド交通」だ。平成27~28年に南部地区で実証実験を行い、今年4月から南部地区での実用化を始めた。
オンデマンド交通が生まれるきっかけとなったのが、市が財政破綻した後に行った小中学校の統廃合だ。小学校6校、中学校3校をぞれぞれ1校として清水沢地区に集約した。当初、夕鉄バスの路線を変更するなどして、各地域間の通学を行っていた。だが、大型バスでは運行効率が悪く、また運転手の定年による人手不足などもあり、タクシー会社によるマイクロバスやワゴン車での運営に切り替えた。こうした通学需要を出発点として、一般向けのオンデマンド交通への活用を考案した。
オンデマンド交通は、利用する1時間までに専用番号に電話で依頼。自宅前から清水沢地区の決められた各所まで運行する。
だたし、現状での利用は少ない。平成27年度の実績では、利用率は2割に止まる。つまり、10便用意している状況で2便しか使われていない。通学バスやオンデマンド交通など、市内交通における交通事業者への補助金は年間約3000万円。この補助金は市からに加えて、財政破綻中であるため北海道庁が全体の半分を負担している。
ただし、こうした補助があっても実費に対する全額補助ではないため、交通事業者が自助努力で赤字額を抑えているのが実情だ。今後は、清水沢地区での交通結節点が誕生することで、オンデマンド交通の利用率が上がることが期待される。
「攻めの廃線」で、あくまでも「挑戦」
新夕張駅から夕張駅までの石勝線(夕張支線)。住居が多い清水沢駅の風景。停車するのは1日5本 Photo by Kenji Momota
夕張市の鈴木直道市長は、メディアなどで「攻めの廃線」という言葉を使う。
これは、夕張の交通インフラが、前述にように南北軸を中心としており、そこに路線バスとJR石勝線(夕張支線)がほぼ平行して走っているため、コンパクトシティ化による「新しい交通網」を構築することで、仮にJR石勝線(夕張支線)が廃線になっても、夕張が「自分らしく暮らせる街」になり得る、という考えに基づくものだ。
今回の滞在は、半日ほどと短時間だったが、夕張を肌で感じたことで、夕張の「挑戦」に対する理解が深まったと思う。
新たなる産業の可能性として、CBM(コール・ベット・メタン、石炭層から採取するメタンガス)の実験的な採掘も始まった夕張。
今後も定常的に現地を訪れ、彼らの挑戦をしっかりと見ていきたい。
(ジャーナリスト 桃田健史)
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