ダイヤモンド・オンライン
子どもの貧困解消を目指す「子ども食堂」ブームに欠けた視点
みわよしこ
子どもの貧困解消を目指す「子ども食堂」がブームとなる一方で、現状が大きく改善する気配はない。現在ある「子ども食堂」にはどんな視点が欠けているのだろうか
広がる「子ども食堂」は
子どもの貧困を解決できるのか?
2017年3月20日、三連休の最終日となった春分の日の午後、シンポジウム「子どもの貧困対策の未来 子ども食堂をこえて」が大阪市で開催された。主催したのは、大阪市生野区を中心に活動する「生野子育ち社会化研究会」。直接支援を行うNPOや研究者など、子どもの成育に関わる多彩なメンバーで構成された民間研究会だ。私自身も、本連載で研究会の活動を紹介したことが契機となり、昨年末より研究会の一員として活動している。
「子ども食堂」がブームとなる一方で、子どもの貧困問題が大きく改善する気配はない。子どものいる家庭の生活保護基準は、引き下げの検討や実施が続いている。また教育に関しても、財務省はより一層の削減を求めている。国レベルの予算削減が続き、深刻化していく子どもと親の貧困そのものを解決する力は、現在の「子ども食堂」にはないことを認めざるを得ないだろう。少なくとも「子ども食堂」に加えて、現在の「子ども食堂」を質量ともに超えるための何かが必要なのは間違いない。
そのような問題意識は、多くの人々に何となく共有されていたのだろう。この日の大阪市は、好天のポカポカ陽気であったにもかかわらず、会場となった大阪教育大学天王寺キャンパスのホールは、多数の参加者で埋め尽くされた。
プログラム前半では、私が露払いとして、子ども食堂に関するメディア報道の動向、米国の民間の取り組み、米国の寄付と助成の仕組みなどを紹介した。続いて後半では、「子ども食堂」活動を実際に行っている4名、研究者3名(社会福祉学・保育学・障害児教育)、報道に携わる私の合計8名によるパネルディスカッションが行われた。
プログラム前半で講演する筆者。「子ども食堂」と「子どもの貧困」報道の、短期間ながら複雑かつダイナミックな歴史を振り返っているところ
本記事では、パネルディスカッションで語られた内容を中心として、子どもの貧困と「子ども食堂」の現在を、多面的に眺め直してみたい。貧困と欠食の中で心身にハンデを背負いながら育つ子どもにも、経済的には不自由のない生活をしているゆえに困難を訴えにくい状況にある子どもにも、それぞれのニーズがある。内容の違いや濃淡があっても、ニーズや困難は「地続き」であるはずだ。
パネルディスカッションで「子ども食堂」活動への取り組みについて話題を提供したのは、隅田耕史氏(NPO法人フェリスモンテ)、高橋淳敏氏(ニュースタート関西事務局)、津守佳代子氏(藍朱〈らんじゅ〉とピンポン食堂)、そしてCPAO・徳丸ゆき子氏だ。といっても、目的、対象、スタイルはそれぞれ大きく異なっている。
4つの「子ども食堂」は
運営者もスタイルも様々
シンポジウム「子どもの貧困対策の未来 子ども食堂をこえて」の事前告知チラシ。筆者自身にとっても、多様な内容・多彩なパネリストとともに「これから」の次の一歩を考える貴重な機会になった
まず、最初に注目していただきたいのは、「子ども食堂」を運営する立場から話題を提供した4人のうち、2人は男性であることだ。現在、子ども食堂の運営の中心は、子育てを経験した専業主婦層とイメージされることが多い。確かに、子育てを経験したミドル世代、シニア世代の専業主婦には、地域でのボランティア活動に参加しやすい条件が整っている。時間的にも経済的にも一定の余裕と安定があり、生活のために働く必要はない。子育てを通じて形成した、地域の学校などとの人的ネットワークもある。
しかし、食事、居場所、人間関係などが地域に不足していることを感じ、それらを提供することや、互いに提供し合うことの必要性を感じ、実際にそういう場を設けて運営することが、子育てを経験した専業主婦の“専売特許”であるはずはない。立場の弱い人々の安全が保障される限り、多様な人々が関わることは、それだけで有益なはずだ。
4つの「子ども食堂」のスタイルは様々だ。開催頻度は、不定期かつイベント的であったり、週に4回であったりする。訪れて食事をする人々は、「子ども食堂」という以上、地域の子ども中心とイメージされるが、時には中高年しか来ないこともある。
また中高生など、子どもとはいえ幼少ではない人々を主対象としていることもある。同じように、欠食状態の子どもたちを主対象としていても、オープンで子ども限定ではない「子ども食堂」もあれば、逆にオープンにしないことで子どもたちの安全感・安心感を確保しているところもある。
いずれにしても大切なことは、「誰のため?」「何のため?」という対象と目的が、その時々ではっきり見えていることではないだろうか。今、はっきり見えていないのなら、「いるはずの誰かの気配を感じ、必要としている何かの手がかりをつかむ」ことが“とりあえず”の目的となり得るだろう。
ちなみにCPAOは現在、子どもたちに居場所と食事を提供する「ごはん会」活動を週4回行っているだけではなく、給食のある学校や地域の居場所に行けない子どもたちに食事を届ける活動を、月1回行っている。これらの活動の始まりは、1ヵ月に1回程度の「子ども食堂」だった。各地域で1ヵ月に1回程度しか開催していなかった「子ども食堂」が、欠食状態の子どもたち多数の存在を発見するきっかけとなり、子どもたちのニーズに沿う形で、現在の「食事と居場所」という活動につながっている。
とはいえ、一民間団体の力では、地域のすべての子どもの貧困を解決することは、質・量ともに不可能だ。それどころか、貧困の全貌を把握することも不可能だろう。まだまだ、多様性という面でも人数の面でも、関わる人々の豊かさが、より一層、必要になりそうだ。そのためには、公的資金がどうしても必要ということになるかもしれない。
4つの「子ども食堂」のストーリーには、関わる人々の「豊かさ」を増やす方法のヒントが、数多く含まれている。
「当事者である」「当事者だった」の
生々しさが持つ強み
フェリスモンテの子ども食堂は、19歳の女性の「中高生だったとき、家でも学校でもない第3の居場所が欲しかった」という思いから始まった。フェリスモンテ自体は、親世代の介護を経験した50代の主婦たちの「住み慣れた地域で最期まで暮らしたい」という思いから始まり、高齢、障害、子育て、地域など多様な問題に関わる活動を続けてきた団体だった。
1999年に活動を開始した実績と、直前に中高生だった女性の思いが結びつき、2015年、「子ども食堂」活動が開始されることとなった。当初、中高生は来ずに中高年ばかりの時期もあったが、徐々に子どもたちの参加者が増え、現在は小中学生も大人も来るようになっているという。
CPAOは2013年5月、大阪で起こった2児置き去り死事件、母子変死事件をきっかけとして、「助けてって言ってもええねんで!」をキャッチフレーズとして活動開始した。2013年5月の2つの事件では、幼い2児を置き去りにして死なせた母親も、幼い我が子とともに変死体で発見された母親も、様々な困難を抱えたシングルマザーだった。
CPAO代表の徳丸ゆき子氏は、育児真っ只中のシングルマザーである。活動の原動力となっているのは、徳丸氏自身のシングルマザーとしての当事者性であり、CPAOに集うシングルマザーたちとの「ピア(仲間)」としての関係性である。
かつて子どもであり、少年であり、青年であったりしたすべての人々に、「子ども時代の自分に、こういう場があったら」「青少年期の自分に、こういう機会があったら」という思いがあるだろう。
また、親としての育児経験があれば、子どもの養育責任の重さも社会のサポートの手薄さも「わがこと」だ。その思いは、努力やガマンや子どもへの愛情が不足しているように見える他の親に対する攻撃につながることも多い。
しかし一歩進めば、問題だらけの子育てを続けざるを得ない状況にある親に対する「あのお父さん自身は、自ら望んで、ああいうダメ親になっているのではないかもしれない」という想像や、「あのお母さんは非難が怖くて他人を近づけないみたいだけど、お天気の話くらいは安心してできるような接近の仕方はないだろうか?」という思慮の基盤にもなるだろう。「子育て」「子どものいる生活」という共通経験があり、それが想像や思慮の基盤になるからだ。
では、「当事者だった」「当事者である」というファクターは、どうしても必要なのだろうか。そんなこともなさそうだ。残る2つの「子ども食堂」を見てみよう。
「よその人」「他人」の距離感も
適切な関わり方や役割のヒントに
「藍朱(らんじゅ)とピンポン食堂」は、地域の子どもが家庭で虐待に遭っていることに津守佳代子氏が気づいたことがきっかけとなり、2016年2月、活動を開始した。とはいえ、地域の大人にできることは多くない。もちろん、深刻な状況にあれば、児童相談所へ通報することはできる。しかし、虐待が認められて児童相談所が子どもを保護すると、子どもは地域からも親からも引き離されてしまう。
もちろん児童相談所の保護は、そのときの子どもの心身と生命を守るために必要な措置であり、現在の日本では唯一の選択肢でもある。しかし、子ども本人、親、地域の関係者の思いを大切にしながら、長期的に幸せな関係を築くためには、必ずしも有益ではない。
津守氏はパネルディスカッションの場で、時折、涙で声をつまらせながら、気がかりな子どもたちの様子を語った。また、親との信頼関係構築の難しさ、行政や学校との連携の難しさ、目的や活動形態に関する迷いやジレンマを率直に語り、参加者たちの大きな共感を集めていた。
「ニュースタート事務局関西」は、不登校、ニート、引きこもりの支援を行う団体として活動を開始した。現在は、引きこもりだった青年たちや、地域生活をする精神障害者の仕事場づくりも行っている。また、その人々が共同生活する施設も運営している。
子ども食堂活動は、CPAOと提携して2013年に開始されたが、現在は不定期でイベント的な活動状況となっている。地域の子どもは参加せず、参加者は“身内”ばかりということもある。活動の場は、共同生活施設の中、公民館、グランドに張ったテント、お寺の境内の屋台、公園など様々だ。
活動の背景には、「子どもの貧困の原因は、大人社会の関係の貧しさにある」という思いがある。また、引きこもりなどの困難を通過し、就労収入による自活も、親となることも難しい人々に対し、社会に対して責任を果たす大人となる回路を開く目的もある。いずれにしても、頻度多く充実した活動を通じて、「地域の子どもの貧困を具体的に解決した」という結果に結びつけるのは難しいかもしれない。
しかしながら、時々の「子ども食堂」活動は、収入や社会的地位や家族の有無と無関係に自分の存在や活動を認め認められ、幸せに毎日を送る大人たちという「モデル」を世の中に、もちろん子どもたちに提供するだろう。
不登校もニートも引きこもりも、そうならないことが望ましい状態かもしれないし、将来の選択肢や可能性を減らすかもしれない。でも、それで人生が終わるわけでも何でもなく、幸せに生きていけるらしい――。様々なプレッシャーに対して苦しい思いをしている子どもたちにとって、その事実は大きな救いになるだろう。
「子どもの貧困」を超えて
社会の「貧困」解決を
パネルディスカッションで、8人のパネリストが並んでいる様子。マイクを握っているのは池谷航介氏。左端にいる筆者は、このとき、虫に刺された耳をガマンできずに掻いていた
「子どもの貧困」という大きな問題そのものを解決する力は、子ども食堂にはない。そもそも、子どもが貧困状態にあるのは、親が貧困だからである。パネルディスカッションに参加した研究者たちは、この点への目配りを忘れなかった。
加美嘉史氏(佛教大学・社会福祉学)は、親の所得を引き上げ、親の経済的困窮に対策する必要性を指摘した。「対策」とは、労働環境全般の改善、子どもと家族への公的支出の増加、公的給付利用に対する抵抗感(スティグマ)を解きほぐすことを含む、所得再分配の強化である。
奥野隆一氏(佛教大学・保育学)も、困難や貧困に対する「子ども食堂」のセンサー機能を評価し、さらに磨く必要性を指摘しつつ、公的支援の必要性への指摘を忘れなかった。奥野氏が言う公的支援は、財政、活動の場、活動に携わる人々を支援することなど多岐にわたる。
最後に挨拶した池谷航介氏(大阪教育大学(当時)・障害児教育)は、子どもの育ちに関する専門家として、「大人がどういう形で子どもに手を出せばよいのか」という社会課題の実践と発見の場の1つとして、「子ども食堂」を位置づけた。活動を継続するのは、容易なことではない。しかし、実際に手を出して動けば、社会の課題が見えてくる。
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さらに池谷氏は、実際に動いている団体が手をつなぎながら「批判」しあうことの重要性も指摘した。批判の「批」は手偏。手を動かして、責任を持って批判することは、忘れてはならないポイントなのだ。
これから、何をすればよいのか。何ができるのか。必要な資源はどう確保すればよいのか。問題も課題も山積している。だからこそ、飽きずウンザリせず、エネルギーを枯渇させず、燃え尽きず、息長く活動することが必要なのだろう。
そのためには、どうすればよいのだろうか。答えは見当たらない。社会の大人として、取り組み続け考え続けなくてはならない課題であることだけは、はっきりしている。
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こども食堂@子どもの貧困解消を目指す「子ども食堂」ブームに欠けた視点
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